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『平常心是道』

景福寺では所蔵の軸を本堂の床の間に掲げさせていただいております。

今回の軸は、

『平常心是道』(びょうじょうしんこれどう)[無門関]

この言葉は、中国の唐の時代の禅匠、趙州(じょうしゅう)和尚と師の南泉普願(なんせんふがん)禅師の問答に由来する言葉です。

  趙州(じょうしゅう)問う「如何(いか)なるか是(これ)道(どう)」

  南泉(なんせん)曰(いわ)く「平常心(びょうじょうしん)是(これ)道(どう)」

この「平常心」は、全く心が動かないとか、動じないという事ではありません。人生には喜怒哀楽があって、一喜一憂しながら心は揺れ動くのが常であります。この揺れ動く自分の心そのものが、その時の真実の心であり、様々な状況、状態に応じて変化し現れるのが人間としての自然の姿なのです。

無理に平常心を作ろうとか、落ち着こうとあせる心を起こすときには、不自然に心が動きかえって変調をきたします。そんな時は、むしろ緊張している我が心こそ、今の自分の真実の姿であり、ありのままの心なんだ、ということを素直に認め受け入れることが必要なのです。ありのままの心、ありのまま姿を認め受け入れるとき、そこには自らが否定し、排除しようとした自分の心はなくなり、障りとする緊張感はなく平生の平常心があるのみとなるのです。

道元禅師は言われます。「ただわが身をも心も放ち忘れて、仏のいえになげいれて、仏の方より行われて、是に従いもて行くとき、力をもいれず、心をもついやさずして、生死を離れほとけとなる」と。

要は仏の教え、大自然の運行、自然法爾のままに、一切をお任せするその心そのままが「平常心」なのです。

 

筆者:村瀬玄妙(むらせげんみょう)(1913~1988)

緑樹院住職、第57代黄檗宗管長
長野県北佐久郡御代田町出身。
経歴9才で浅間山普賢寺の第25代玄門老大和尚に就き得度。旧制中学卒後、19才で京都へ。その後、3年間禅門高等学院で学び、禅僧修行に入る。黄檗宗大本山禅堂の職員を経て、のち緑樹院住職。昭和46年万福寺山内に“青少年文化研修道場”を開設。55年から62年まで第57代黄檗宗管長を務めた。「怒るな焦るな諦めるな」「坐禅への誘い」「転んだら起きればいい」などの著書をもつ。

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