いつから景福寺?
景福寺は〝曹洞宗四景福寺〟
又は〝曹洞四景福〟などと言われ、
1369年から順番に兵庫県猪名川町、
姫路市(1602年)、岡山市(1603年~
1614年頃)、鳥取市(1633年)と
建立され四カ寺あります。
最近入手しました鳥取市の景福寺が
昭和18年に発行した
『鳥取瑞松山 景福寺 縁起』という本
には、最初の猪名川町景福寺の創建に
ついて、
【山を瑞松と名づけ慶福寺と號した。
其の功徳主は平尾越中守景勝である。
後、慶福寺を景福寺に改む】
とあります。
当初は頭の字が〝景〟ではなく〝慶〟
だったことになります。
いつから〝慶〟が〝景〟に変わったの
でしょう?
同書にはそれ以上の詳しい記述がない
のでわかりませんが、想像するに、
功徳主(寺院の創始にあたって経済
的支援をした人、世俗在家の実力
者、開基とも呼ぶ)である平尾越中守
景勝が亡くなり、その菩提を弔うため
景勝の一字である〝景〟をあてたのか
とも思われます。
(実際、景勝の法名は〝景福寺殿傑厳
全英大居士〟なので)
ただ、江戸時代末期のものとされる
〝備前国岡山城下之図〟という古地図
に当寺は「慶福寺」と記載されてい
たり、明治30年に没している当寺28世
住職(後継に住職を譲って生まれ故郷の
九州佐賀県で歿。お墓も佐賀県にある)
の墓石には〝慶福二十八世〟と刻まれ
ていて辻褄が合いません。
…謎です。。。
当寺は昭和20年の岡山大空襲で全焼
してしまい、それ以前の資料や写真が
全く残ってなく不明なことが多くて
困っています。
機会があれば猪名川町景福寺の
ご住職にお訊ねしてみたいと思います。