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百花春至為誰開(百花春に至って誰が為にか開く)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

景福寺の境内も牡丹が白を残してほぼ終わり、シャクヤクのつぼみが日に日に大きくなっております。

プランタのノースポールが満開を迎え、藤棚の藤の花も一輪だけ咲いてくれております。

春の禅語に「百花春至為誰開」(百花春に至って誰が為にか開く)というものがあります。

春になりますと色とりどりの花々が咲きますが、花は誰かのために咲くのではなく、何のはからいもなくただ無心に咲いているのです。

そして、花の命を次の世代につなぎながら、花の蜜をすう虫や鳥たちの役に立ち、花を見る私たちの心をも和ませてくれます。

花は無心に咲くことによって自分自身を生きると共に、他をも活かしているのです。

しかしながら、私たちはなかなか花のように無心には生きていけません。

私たちは目で見るもの、耳で聞こえるものを何のはからいもなく無心に受け取ることができております。

にもかかわらず、自らの思いに振り回され、好き嫌いや損得勘定の思いに色づけて物事を見てしまっております。

無心に咲く春の花々を愛でることで、本来私たちが物事を無心に受け取っている事実に気付き、穏やかに過ごしていきたいものですね。

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